マルシェに「víz PRiZMA」を

 週末のマルシェ 豊島区巣鴨 1-6-6 ヴィラ東邦ホワイトテラス 1階 で開催中

秋晴れの空が美しい週末となりました。今週末の23日(土)・24日(日)は、私たちeach toneが拠点を置くRYOZAN PARK巣鴨のラウンジ前で、マルシェを開催しています。お花・野菜・焼き菓子・手芸品・コーヒー・お茶・お米・パンなどなど・・素敵な食材や雑貨が並び、絵になる風景。私、柿田京子も「víz PRiZMA」のパンフレットを片手に、店先に立たせていただきました。

ー目で何なのかが見える素敵な品々が並ぶの中で、どのようにして「víz PRiZMA」のような、「祈り」をテーマにしたバーチャル空間のサービスを見せればよいのか… 普通に考えたら、思いっきりの場違い感にプレッシャーを感じてしまいそうなシーンですが、ここがRYOZAN。「どうぞ~」「何でもあり」とのオープンポリシーに、ドキドキしながらの参加です。

巣鴨駅からほど近い路地の一角で、通りすがりの地元の方々や、訪ねてきてくださったRYOZANゆかりの皆さんでにぎわい、思いのほかお話がはずみました。出展者同士も、お互いに商品や活動が興味深くて話し込んだり。おいしいお茶やコーヒーとお菓子、心地よいものに囲まれた空間で流れる空気は和やかで、人々を不思議な力でつないでいきます。

立ち止まったついでにご自身の身の上話をしていかれるシニアの方。たくさんお買い物されて「本当は、SNSとかやってみたいのよ。そうすると、こういうイベント情報がわかるんでしょ」とプチお悩みを相談されるおばあさま。子育て世代からは、「自分の親に切り出しにくいのだけれど、終活はしっかりやっておいてほしいな」との声があったり。Webミーティングではなかなか出てこない、つぶやきや何気ないコメントが、結構貴重です。抱っこやベビーカーの赤ちゃんから、子供たち、シニア、高齢者まで、様々な方が行き交う街のくつろぎ空間で交わされる言葉や気持ちは、澄んだ秋空に溶け込むようで、気持ちよく時を過ごしました。

もはや売るとか、儲けるということではなく、街という舞台で、ステージの一員となって、持ちつ持たれつの助け合いをしながら楽しく暮らすという感覚、RYOZANのスローガンになっている”Life is Better Shared”を身をもって感じたイベントでした。

明日はどんな方々に出会え、どんなお話しができるのでしょう?期待をもって明日を待ちわびる感覚、何とも幸せです。

なんで黄色いの?

朝晩がめっきり秋めいてきましたね。
今週も、下邨の文章にお付き合いください。

私の、子供の頃のたわいもない疑問の話です。
私は、「なんでだろう?」ばかりの子供だったそうです。両親をつかまえては、「ねぇ、なんで空は青いの?」「葉っぱは、なんで緑色なの?」「なんで、卵の黄身は黄色いの?」と質問責めだったようで。
父なんて、「黄色いから黄身って言うんだ! 早くご飯食べちゃいなさい!」と。我ながら、面倒くさい子供でしたね…(笑)

だいぶ大人になってから、この父の対応を母に話したら、「真剣に応えてやれなくて、すまなかったわねぇ」と謝られましたが、当時の私にとって、それら、たわいもないことが、この世界がどうかたちづくられているかの、最大の関心事だったのです。
そんな、大人になってからの笑い話を父にもしたかったのですが、病気で看取った後なのが悔やまれます。

さて、実はこの子供の頃に養われた疑問意識、デザインではけっこう重要なのです。

まず、対象となる事象を観察しているということ。
そして、なんらかの疑問を抱くということ。
さらには、その疑問を解決するためには、どの様な行為が必要か思考する、ということ。

大学在学時、とある教授が講義の開始前に仰っておりました。
「全ての事象を疑ってください。これから私が話す講義さえも。」
いまでも心に残っている言葉のひとつです。

今回は、たわいもないトピックであったので、最後くらいは、子供の頃からの私のこの意識を、ステキな詩の一説を引用して、表現したいと思います。

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

〈宮澤賢治/『春と修羅 序』より抜粋〉

ウミガメの来る浜へ

秋になる前に、やっぱり海を見ておこうと、each toneみんなで、少々遅めの夏休み。

まっすぐな道をひたすら歩き続けたその先に、むき出しの太平洋がひらけていました。

ひたすらまっすぐな道
太平洋、この向こうはアメリカ。 ここの砂浜には、ウミガメが来るそうです。 

地球の丸さが感じられそうな地平線・水平線を眺めながら、いつもとは違う世界に浸ってきました。ウミガメには出会えませんでしたが、カニと戯れてきました。

東京にいても、狭い部屋の中でも、パソコンに向かっていても、この広い空と海を心に蓄えていたいものです。非日常の刺激って、いいものですね。ささやかな遠足レポート、柿田京子でした。

「価値」の“魅せ方”

小学生の社会科で、「財とサービス」という言葉を習いました。人の欲望を充足させるものとして、おおまかに分けるとそれぞれ、有形と無形の価値を持つものとされています。よくよく調べてみると、さらに細分化されます。私は双方の要素を兼ね備えたものもあるなと思うのです。

例えば、絵画作品を所有している場合はどうでしょう。「財」としての有形の美術品の所有権はもちろん、他方で絵を飾ることで、室内が華やかになるとか、雰囲気が変わるとか、無形である「体験」のような「サービス」的要素も感じるのです。そして、この価値は受け手によっても意味を変えます。

バンジージャンプというアトラクションがありますよね。景観の良い橋の上などから谷間の渓流に向かってジャンプするとしたら、ある人はそれに対価を支払い、その「体験」を得ます。
しかし、またある人はそれを罰ゲームだと捉え、こんな危険な行為はあり得ない、と敬遠することもあります。

見せ方・魅せ方を変えることにより、価値観を変えられる場合もありますよね。

スティーブ・ジョブズは携帯音楽プレーヤーであるiPodを売り出すときに、そのデータ容量性能の表記を「ギガバイト」ではなく「1000曲」という、ユーザーに解りやすい単位で魅せました。

ディッシュウォッシャー(食洗機)を売り出すとき、「家事が楽になりますよ」では購入者が怠惰なイメージをこうむってしまうおそれがあるので、「手が荒れませんよ」として売り出しています。

良い商品やサービスが開発できたとき、それをどう魅せるか、どうお伝えするか次第で、その「価値」が大きく変わることを強く実感する毎日です。

仮にインターネットが当時存在したとして、馬車の時代に、T型フォードを、もしwebライティングやランディングページの手法を使ってで売り出したとしたら、どんな魅せ方をするのかな、なんて考えております。

each toneの1stプロジェクト「víz PRiZMA」。
まさにそんな、全く新しい価値のご提供になると思います。
とても奥深い多様な要素を持つ本サービス。どの様にお伝えすべきなのか。
今回も下邨尚也が、想いを綴らせて頂きました。

引き続き、「víz PRiZMA」にどうぞ、ご期待ください。
https://www.viz-prizma.com

或る展覧会のためのエスキース

或る展覧会のためのエスキース

お盆が終わって、会社から自宅に帰る時分の夕風に、少し涼しさを感じる様になってきました。

早いもので、会社を立ち上げてからもう8ヶ月。有り難いことに様々なご縁に恵まれ、非常に多くの方々とお話しする機会を、日々頂きながら、仕事をしております。
皆様に励まされ、アイデアを頂戴し、強い共感を貰っては、時に窘められる。この居心地の良さはなんなのだろう? と考えたときに、気づいたのです。この積層されていくコミュニケーションは、作品制作に似ていると。

初めてお会いする方を注意深い視線で観察して、その方を知り。
お話をする限りでは知り得ないお人柄は、美術解剖学のようにその内的世界を想像し。
次の会話のトピックはどんなものがご一緒に楽しい時間を過ごせるかとエスキースを思い浮かべ。
精一杯のおもてなしで、支持体に顔料を重ね。これは失礼しました、と白く塗りつぶす。

その度毎に出会う方と、最高に素敵な出会いの瞬間という展示に向けて、試行し対峙し続ける様は、恍惚以外の何者でもないのです。

やはり私は、制作が、そしてなにより人が好きです。

今週のエッセイは、下邨がお送りいたしました。

お盆に想う

夕焼雲(撮影:柿田京子)

お盆です。帰省して、故郷で家族・親戚一同で集い、ご先祖様の精霊をお迎えするこの時期。コロナ感染が全国に拡がり、帰省もままならぬ状況ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか? 都会での忙しい日々、お盆であることすら忘れてしまいがちな方もいらっしゃるかもしれません。きょうは、柿田京子が自身の子供時代にさかのぼり、お盆の思い出を語りたいと思います。

紀伊半島三重県。伊勢神宮をもう少し南へ下り、伊勢志摩の「志摩」と呼ばれるエリアに、私の父の故郷はありました。リアス式海岸の入り組んだ奥の入江。海苔や牡蠣の養殖が行われ、背後には、ミカン畑が広がるなだらかな山が迫り、山海両方の幸に恵まれた、温暖で風光明媚な、ひっそりとした田舎です。

家々の間に田畑があり、当時はまだ開墾用に牛がいて、休耕地で草を食み、ウモォ~と、のどかな鳴き声をあげていました。カブトムシ、クワガタ、セミ、そしてホタル。子供たちの気になる生き物はふんだんにおり、時々、畑の作物目当てで、イノシシ、サル、シカなども現れました。

このような田舎で過ごすお盆は、小学生の私にはまさに非日常。迎え火を焚き、盆提灯をつけ、きれいに飾られた仏壇に手を合わせ、年長の従兄たちから「この世から旅立ったご先祖さまの精霊が、お盆にはここに帰ってくる」という物語を粛々と聞き、みんなでその世界観に浸りました。

お会いしたことのない「ひいおじい様やひいおばあ様が、すぐそこで見ている」などと言われて、ものすごく緊張して、怖くて夜の廊下を歩けなくなったり。「ご先祖様は、子孫には決して悪さはしない」と言われて、ほっとしたり。

この村でも、戦時中にはほとんどの成人男性が駆り出され、南方で玉砕したそうです。高齢者と女性・子供だけでその後を乗り切ったこと、子供だけ取り残された家も多くあったことを聞き、やむなく旅立つしかなかった人々も、ここに戻ってきて、今一緒にいるのかと、想いを馳せたり。

人間の想像力は果てしなく、夕焼けが夜の闇に代わりつつある空を背景に、オレンジ色に灯された送り火を見ながら、精霊たちがあの世へ帰っていく姿を、私は自身の心の中に焼き付けたのです。

人は、記憶の世界に生きているのかも知れません。あるいは、記憶に根付いた想像や幻想の世界に生きているのかも知れません。この世から人の命がなくなっても、その人を大切に想う人の記憶の中で、「存在」は生き続けます。そして、その存在は姿がないまま、まだ生きている人々を癒し、勇気づけ、明日へのエネルギー源となっていたりするのです。そのような大人たちをたくさん見ながら、私は大人になりました。いつしか、かつての大人たちがいなくなり、それでもその存在は、私の記憶の中で消えず、衰えず、時折全く思いがけないひらめきやエネルギーなって、今の私を支えてくれたりします。

とうの昔に、牛はいなくなり、耕作はすべて機械に。田舎でも核家族化が進み、親戚一同が集まる機会はほとんどなくなりました。ホタルも珍しくなりました。今でも、迎え火は焚かれているのでしょうか? 時代とともに移りゆく伝統としきたり。庶民が何気なく受け継ぎ、生活の中で伝え続けてきた身近なヘリテージを、形は変わっても、その想いは、未来へつなぎ続けたいと思います。

each toneの1stプロジェクト「víz PRiZMA」(https://www.viz-prizma.com)には、幼かった私を育んだ、日本の風土が流れ込んでいます。

この夏を、全力で走り抜ける — 初年度下期のスタートです

7月になりました。each tone創業から半年が経過。今月より、初年度下期がスタートします。

思えば、厳寒の最中に事業プランを練り、神田明神に祈願し、会社設立に奔走した1月が、ずいぶん遠い昔に思えます。ずっと密度の濃い時間を過ごしてきたため、この半年が3年くらいに感じられます。新しく出会った方々の数は、3桁に達し、多くの知恵とアイデアに支えられながら、あの時、紙の上に描いた世界が、いま、「víz PRiZMA」(ヴィーズ プリズマ)というブランドになって、現実に姿をあらわし始めました。

「こんなことをやりたい」という着想は、当初よりありました。メンバーそれぞれ、似たような想いを抱いていたはずです。しかし、この“ぼんやりした着想”を、共通認識を伴う「言葉」に落としこむには、実に膨大な時間とエネルギーが必要でした。ネーミングひとつ、ロゴひとつに、深い議論が重ねられ、言葉に意味が、意味に言葉が、重ねられていきました。

アイデアをかたちにする第一歩、言葉へのdeep dive。このアート冥利に尽きる創作の毎日に、私たちは深く埋没しました。RYOZAN PARK巣鴨にこもりながら、意識だけは、「虹彩(アイリス)」を虹の神様だと位置づけたギリシア時代へいったり、「víz PRiZMA」の名前の由来であるハンガリーへ行ったり、虹彩認証の歴史を紐解いたり、日本各地のテクノロジーベンチャーさんとお話しさせていただきながら、季節は過ぎていきました。

言葉になったアイデアを、ビジュアルに変換したり、サービスに創りこんだり、そしてシステムに紐づけたり。自分たちだけではできないことを、様々な領域の専門家が助けてくださいました。新しいサービスをいろいろな角度から深く理解し、期待を寄せてお力添えくださったプロフェッショナルの方々。心から、ご一緒できて良かったと思います。

目の前に積もった「今日やる」作業の山を片付けつつ、減っていく手元資金の残高を横目で眺めつつ、サービスの創りこみをしつつ、中長期への道筋をつけつつ…。やるしかない毎日の中で、メンバーの才能の引き出しが次々と開き、ひとは、これまでやったことのないことでも、やり出すと結構できるのだなあと、人の適応力と才能の奥深さを垣間見たりもしました。

先月からは説明会が始まり、お客さまとお話しする機会が増えました。ずっと企画を練ってきた私たちには、無意識のうちに慣れて当たり前になってしまった概念が、はじめての方には、不思議だったり、わかりにくかったり。そもそもの発想自体に、疑問を呈してくださる方もいらっしゃいました。その一方で、私たち以上にこの世界観に入り込み、私たちが考えも及ばなかったようなインスピレーションを与えてくださる、スーパーファンのような方々も現れました。

まだ生まれたばかりのサービスですが、たくさんのお客さま方のアイデアを採り入れ、その声に刺激をいただきながら、一歩一歩、さらに良いものを目指していきたいと思います。

梅雨があければ、夏が始まります。「víz PRiZMA そして、いのちは“光”になる」、víz (ハンガリー語:水)にちなんで、みずみずしい感性をもちながら、七色に輝くPRiZMA(ハンガリー語:プリズム)の光をもって、社会の課題のかたわらに、あり続けたい。

もっと多くの、さらにたくさんの方々に出会い、プリズムの光をお届けするために、私たちはこの夏を、全力で走り抜けたいと思います。

藝術という選択 ― Heart of “each tone”

人がある状況にでくわした時、藝術という選択があることで、普段できないこと、考えなかったことが可能になるのではないか。その積み重ねが社会を変革していくのではないか。

先週のエッセイを、弊社の髙橋若余は、こう締めくくりました。
これを受けて本日は、柿田京子が、改めてこのテーマの一例を語ってみたいと思います。

「人がある状況にでくわした時」-それは往々にして、都合が悪い状況であったり、危機的な状況であったりします。

その状況にどっぷり浸って、不幸な世界観を堪能し尽くすのも、ひとつの選択でしょう。悲劇をつぶさに観察しながら主人公を演じる自身が、「もっと悲劇性を高めるにはどう表現すればよいか」などと考えはじめたら、チャンス! あなた自身が気づくでしょう。自分がもう不幸な人ではなく、悲劇を題材に人生の深みを謳歌できる前向きな人間に変わっていることを。

お笑いや喜劇では、主人公の思い通りにならないアクシデントや、常識どおり進まないもどかしい事象を「笑いのネタ」としていることが多いですね。都合の悪い状況に対して、日和ったり、怒ったりする自身の様子を、人間ドラマとしてとらえる。客観視しながら、共感したり、別の人だったらどうするかと想像したり、あるいは関西弁で状況再現したらどうなるだろうと考えたりし始めたら、チャンス! あなたはもう、悩める現状をネタに、笑いと幸せを送り出す愉快な人に変わっています。

このように考えると、危機的だった状況が人生を謳歌する糧であり、都合が悪い状況が幸せな笑いを誘うきっかけであったりするわけで、もうどこからが不幸で、どこからが幸せだかよくわからない二律背反。不幸なのか幸福なのか、まさに「塞翁が馬」。相対するはずの感情が混在・混線してつながる中、最後には「生きていることは本当に素晴らしい」「みなさんありがとうございます」という愛おしい感謝につながっていく、不思議な世界が拓けてきます。

藝術という選択があること。それは、売れる作品をつくることや、高名なアーティストとして認知されるというような意味ではなく、やわらかい思考とやさしい眼差しをもって、人が自身の無意識から、本来持っている様々な発想や能力を引き出し、苦しみや違和感を和らげたり、改めて明日に向き合うエネルギーを生み出したりする活動です。

思えば、20世紀には、「損か得か」「善か悪か」といった、固定的なベクトルで課題に向き合うことが多かったように思います。この結果、取り残されてしまった課題—環境問題や、人の尊厳の問題など—が、今、SDGs*として並んでいます。21世紀という時代が、二律背反を交えた複雑な課題に寄り添う時代となっていることが見えるでしょう。

私たちは、どのようにして、ここから未来を創っていくのでしょうか?

これから社会で活躍する若きアーティストの方々の将来が希望に満ちたものであることを願い、今に悩むすべての方々が、その状況の中から、明日に向き合うきっかけを見出していけることを切に願いながら、本日の筆をおきたいと思います。
私たちeach toneが、どうかその一助になれますように。

*SDGs:2015年9月の国連サミットで採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っている。(外務省ホームページより

瞳がとらえる世界

5月20日、「víz PRiZMA」(ヴィーズ プリズマ)は、ブランドサイトをオープンします。カウントダウン1週間の今の社内は、協力者・社員入り乱れて、まるで本番直前の舞台袖のよう。このすがすがしい緊張感を、青空と新緑のもと、満喫しています。

「víz PRiZMA」のサービスは、「瞳」からの発想をベースに創りました。

瞳に映る世界。それは、その人の瞳の色と合わさり、小宇宙のような神秘性を醸し出し、写真に撮っても、横から覗いてみても、見ごたえのある絵となります。

ひとは、瞳を通じて世界を感じ取ります。同じ世界を見ていても、ひとりひとりの瞳が見出す世界は、実はユニーク。妊娠すると、妊婦さんの姿が目に付いたり。小さな子供をもつお母さんには、子供の存在がクローズアップされたり。雑踏の中で、特定の人だけが輝いて見えたり。あなたの見ている世界は、実は、あなたにしか見えていなかったりするのです。

物理的な瞳はもちろん、“心の瞳”もまた、興味深い。そういえば、坂本九さんの遺作となった同名の歌*がありました。長年連れ添った奥さまへの想いを込めた歌だそうです。
おとぎ話の中には、みすぼらしいなりをした老人が現れ、その人が実は、世界を救う偉人だったという筋書きが多くあります。星の王子さまは、「本当に大切なものは目に見えない」と言いました。

瞳で伝える世界。瞳で受け取る世界。「目は口ほどに物を言う」と言われますが、目は強力な発信体であり、同時に、受信体でもあります。「目力(めぢから)」に象徴される強さを秘める一方で、うるんだ水晶体には、はかなさも感じられます。

目を開けて見える世界、目を開けても見えない世界。目を閉じて見える世界、目を閉じると見えない世界。世界の見え方と「瞳」の関係は、物理的・表層的な世界を通り越して、時間・空間・意識を縦横無尽に飛び交います。

人が生まれ、限りあるいのちを生き、未来へ溶け込んで逝く、この永遠の営みをとらえるとき、「瞳」のテーマがふさわしいと思いました。

世界の拡がりと、人のもつ無限の想いを「瞳」に込めて。
「víz PRiZMA」の始動まで、あと1週間。each tone 初のプロジェクトである「バーチャル墓地」。「アーティストと創る、新しい“偲び”のかたち」を、どうぞお楽しみに。本日の担当は、柿田京子でした。

* 坂本九「心の瞳」1985年 「心の瞳で 君を見つめれば」で始まる、愛の本質をうたった坂本九の遺作。この歌の収録後に、坂本九は日航機墜落事故によって他界。

メディアの探求

先日、大学時代の友人夫婦が弊社に遊びに来てくれました。同じ専攻だったこともあり、思い出深かった講義『メディア環境論』の話題になったのですが、なかなか興味深いトピックであり、弊社の1stプロジェクトとも関連が深いので、今週の投稿は、下邨が「メディアとはなにか?」について採りあげます。

みなさまは「メディア」と聞いて、なにを思い浮かべるでしょうか?
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど、マスメディアという単語はよく耳にするかもしれません。

メディア(media)
《medium の複数形》

1. 媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体。「マスメディア」「マルチメディア」
2. 記憶媒体

デジタル大辞泉/小学館 より引用

上記の引用のように、「メディア」の元々の意味は「媒体」なのです。

古くは、「石版」に刻まれた文字。洞窟の壁に描かれた「壁画」。植物性の文字の筆記媒体である「パピルス」。コンピュータの出現により、デジタルデータの特性として、「マルチメディア」という言葉がもてはやされた時代もありました。文字・音・映像などを同じ記憶媒体で記録できることが、表現の手法を大きく変えたことは記憶に新しいです。

では、アートの分野ではどうでしょう。
こと絵画作品においては、支持体と顔料がメディアだと言えるでしょう。「支持体」とは紙やキャンバスなど、絵が描かれるもの。その上に顔料などの「絵具」がのって、絵画作品として表現されるわけです。

絵画作品も、時代と共に大きくその表現方法が変容していきます。「カメラ」の発明により、絵画でしか表現できない世界を模索していった15世紀以降の作家達は、二次元という平面の絵画作品の世界を、どう拡張して表現していくかを試行錯誤し、「遠近法」や「陰影法」という奥行きを感じさせる技法。眼の仕組みを科学的な観点から再現した「点描」。多角的な目線をひとつの平面に表現した「キュビズム」。絵に動きの概念を取り入れた「未来派」。具体的なモチーフではなく、意識や無意識などの人間の心理の内面に着目した「シュールレアリスム」等々。挙げだしたらキリがありません。

弊社each toneの1stプロジェクトは、「いのち」「祈り」「時間」といったかたちのないメディアに挑戦いたします。どうぞ、ご期待ください。