みなさま初めまして、髙橋です。東京藝術大学DOORプロジェクトからの繋がりで、4月よりeach toneにソーシャルアーティストとして勤務しています。
弊社が掲げる企業理念『〜藝術の力を社会へ〜』とはどういうことなのでしょうか。私からのごあいさつも兼ねて、今回はこのテーマについて考えてみたいと思います。
私は昨年の春から一年間、都内のサービス付き高齢者向け住宅でアーティスト・イン・レジデンス*に参加しました。この企画では、アーティストとして高齢者向け住宅に入居しますが、食堂で一緒に食事したり、おしゃべりしたり、ひとりの住人として日々過ごします。
滞在先では、多くの方と出会いましたが、そのなかでも特に思い出深い方がいらっしゃいました。その方は知的障害があって、今思い返しますと、ほんのささいな事なのですが、シチュエーションにあわせて言動を調節することが不得手でした。経験乏しい私はそのことで動揺し、その方に対して今後どう対応していけばよいのか悩んでしまったのです。
そこで私がどうしたか。その人の行動をつぶさに見てみよう。人となりについて、詳しくなってみようという気持ちで接することに決めました。一方的に、自分のことをめいっぱいお話しされるのですが、負けずにこちらからもたくさん質問を投げました。
目的意識をもって向き合うと、行動の因果関係がだんだん見えてきて、この人は、本当に楽しかったことを一生懸命私に伝えようとしている。楽しい事が人生の中心にあるのだと知ることができました。そして、自分の話題に夢中になってしまうという特性はあるものの、会話中はイライラしたり、怒ったりというのが無く、安定していることもわかりました。
最初は戸惑いを覚えていたのに、会話を終えるころにはある種の接しやすさを感じていることに気がついたのです。
私がしたことは、ただの時間をかけたおしゃべりでした。客観的にみれば当たり前のことに気づいただけと思われるでしょう。
しかし、このようにも考えます。レジデンスに参加していなかったら、障害を持つその人と関わりを持てただろうか? 自分なりに理解したいと望み、そこで得たことを周りに伝えようとしただろうか?
アーティストという第三者的立場で居合わせたからこそ、自分にとって難しいと思うことに向き合おうとしたのだと思います。
人がある状況にでくわした時、藝術という選択があることで、普段できないこと、考えなかったことが可能になるのではないか。その積み重ねが社会を変革していくのではないか。そんなふうに社会の中の藝術を捉えています。
*アーティストが一定期間ある土地に滞在し、常時とは異なる文化環境で作品制作やリサーチ活動を行うこと。(https://bijutsutecho.com/artwiki/17 より引用)