こんにちは髙橋です。
今日は、わたしが絵を描くことについて、どう考えているのか。個人的な所感をお話しようと思います。
以前のわたしは、絵を描きたいと思っているのに描きたいものがなくて困っていました。描く力がなくなったのかと思うほどでした。
時々、描きたいものはあったのですが、満足いくように描けないと思うと手が止まる。満足いくように描くには、手を動かして試行錯誤を重ね、資料と見比べながらイメージを固める作業を繰り返す。そうすれば仕上げまで進めて行けたはず。それができなかったのは、思い込みがあったからです。
自分の中の思い込みが、描くことに対して消極的にさせていました。しばらく描かない期間ができると、下手になっているんじゃないかと焦りも出てきます。上手く描かなければとか、スムーズに理想にたどり着けないのを、力不足と感じて気持ちが途切れてしまう。
描かなくなったのは、そもそも描きたいものがない。描く目的がないからだということは、自分でもわかっていました。アイディアやひらめきを生むためのインプットも足りませんでした。描くこと自体が目的になると、絵は描けなくなってしまいます。
そもそも絵は非言語のメディアです。何か伝えたいものがあって、伝えたい誰がいるから描き続けられるものだと思います。
そんな思い込みをどうやって解いていけばいいのか悩んでいたとき、ある作品に触れました。こんなふうに絵を描いてみたいという気持ちが強烈に、しかし驚くほど自然に湧いてきました。
再び描き始めたことでわかったのは、絵を描く力は落ちないということ。描きたい気持ちがでてくれば 、細かいところまで諦めずに調整したくなるのでクオリティがあがり、結果として思い通りの仕上がりになります。描きたいのに描けない。描きたいように描けないという、心のつかえを越えていくことができました。
伝えたいことがあれば、人は自然と行動に移すことができます。例えば、面白い映画を見たら内容を人に話したくなることがあるでしょう。映画のどこに感銘を受けたのか自分の視点で魅力を伝えたくなるものだと思います。特に人に視聴をすすめたい時は、どんどん言葉が出てくるのではないでしょうか。
絵は、思考や感情も含めた情報の伝達です。伝えたい気持ちがあれば絵が描ける。その本来的なところに立ち返ることができました。
わたしにとって、心ときめく作品との出会いがもう一度、絵に対する気持ちを整え温めてくれる存在となったのでした。