Artists Interview #8

日本の表装文化を世界へ、そして未来へ伝え続ける ―豊かな気持ちを共有できる社会に

横尾 靖(よこお やすし)さん・裕子(ひろこ)さん
表装美術家
株式会社 マスミ東京 代表取締役・MASUMI PLUS担当

Profile

横尾 靖
表装美術家。一般社団法人「文化遺産調査研究保存継承機構『ゆらび』」理事。
1980年からの13年間、大手電気通信会社に勤務し、アフリカのケニアを始めとする東南部諸国に滞在。97年に株式会社マスミ東京の代表取締役社長に就任。日本の伝統文化である表装文化を世間に広めるべく、国内はもとよりロシア、上海、オランダ、ロンドン、イタリア、フランス、アメリカNY・ボストンなどで、展覧会や公演、ワークショップを企画して、広く文化交流を行っている。

横尾 裕子
両親のあとを継ぎ、横尾靖と共に、株式会社マスミ東京を経営。表装掛け軸に使用される伝統織物・和紙を使用したファッションや小物(ダイアリーや御朱印帳など)を手がける「MASUMI PLUS」をプロデュース。

横尾靖さん・裕子さんご夫妻(マスミギャラリーにて)

JR山手線大塚駅から徒歩数分のところに、横尾靖さん・裕子さんご夫妻が営むマスミがあります。マスミは、掛け軸やふすまなどの装飾を行う表装専門店。店舗2階のマスミギャラリー、白隠禅師*¹の掛軸に飾られた和やかな空間で、お話をうかがいました。

海外で出会った“日本文化”

—— 靖さんは、最初は、企業にお勤めでいらしたのですね?

横尾 靖(以後 ): ええ。若いころは、世界で活躍するビジネスマンに憧れていました。NECに勤め、アフリカのケニアに駐在する機会を得て、1984年に家族と共に赴任しました。

横尾 裕子(以後 裕子): 当時のアフリカは、とても遠い未知の国でした。初めて降り立った現地の空港から街へ向かう途中、道路をキリンの親子が横切っていく。それを車がじっと待つ。本当に、ビックリです。

: これは、南アフリカでの話ですが、トイレに行くとドアが2つあって、それぞれ「ブラック」「ホワイト」と書いてある。自分たちはどっちに入ればいいのか?

裕子: 思いがけない経験を、楽しいと思えるか、何となく嫌だと思うのかによって、海外生活は違ってきますね。私たちは、ずいぶん能天気でした。(笑)

: 休暇時には、ヨーロッパを旅行しました。美術館には決まって「オリエンタルアート」のコーナーがあり、そこで日本の展示物を見て、ふと気づいたのです。知らないことばかりだと。自分は日本人ですから、まわりの人たちからも日本文化のことを色々と聞かれます。でも、あまり知らないから答えられない。

裕子: 「聞かれたらどうしよう」と思う場面がたくさんありました。向こうの人たちが研究して評価している日本文化に、自分たちが気づいていなかったのですね。

: 企業戦士として、最先端の技術を携えて海外に出ていったわけですが、長年日本の伝統で培われてきたものが根底にあって、そしてこの技術があるということを知らなかったのです。ゴルフはするけれど、日本の伝統文化を語ることができなかった自分。それに気づくことができたのが幸いでした。

伝統文化と職人の世界へ

—— マスミは、裕子さんのご実家なのですね?

裕子: はい。うちは女の子ふたりで、私は次女。姉は嫁ぎ先の家業に従事していました。

: 5年近くアフリカに駐在し、その後も行ったり来たり。義理の両親からすれば、娘は遠いところへ連れていかれ、もう継承者はいないとあきらめていたと思います。

—— 靖さんがマスミを継がれることになったきっかけは?

: 義父が一生懸命やってきたことが、なくなってしまったら「もったいない」という想いがありました。先が見えていたわけではなく、「ぜひ継ぎたい」という心意気でもなかった。本当のことを言うと、どうしてだかわからない。でも、何かを感じていたのです。当時、36歳でした。NECからは強く引き止められました。家内も反対でした。

裕子: そうなんです。子供のころから職人の世界を見てきましたから。遊びの中で、ふすまのくぎ打ちをしたり、かんなくずと親しんだり。職人さんの気質はよく知っていました。私はその中で育ち、違和感はなかった。でも、外から入るのは一筋縄ではいかないこと、誰よりもわかっていました。

: 私は実は、そこのところは、あまり心配していませんでした。海外の人とも分かり合えた。だから、きっと分かり合えると。ある意味、閉鎖的なところ、異質なものになかなか心を許さない、「村八分」なんかも含めて日本文化。そう思っていましたから。

それよりも、マスミという会社をどうしたらいいのか、未来が見えませんでした。何を目指したらいいのか。ビジョンなど何もないまま、こちらの部屋から隣の部屋へ移る感覚で、私はNECを辞め、マスミを継いだのです。

自分にできることを探してあがいた ―そうだ、海外へ行こう

—— 新しい世界に飛び込まれて、いかがでしたか?

: 継いではみたものの、何していいかわからない、何もできない。つらかったですよ。

もともとマスミは木工とふすま関連のメーカーで、一時は100人近い職人さんをかかえていました。生活様式の変化と共に、同業他社は洋風インテリアに移っていきましたが、義父は、ふすまだけでなく掛け軸や屏風など、和室を彩るものはすべて手掛ける方針で、アートにこだわり続けました。製造に加え、職人さんが求めているものはすべて展示して販売できる店も運営していました。

裕子:私は当時、子育ての真っ最中。事業に関わるようになったのは、子育てが一段落し、母が引退した際にその後継として経理などを手掛けるようになった、ここ15~16年です。

: 義父から特に何かを教わったことはありませんでした。仕事はどんどん少なくなっていく。何か変革をしないと、衰退の一途をたどることは明らかでした。自分がこのまま何もしなくて、そして上手くいかなくても、全部自分の責任。だから、何かしなくてはいけない。思いついたこと、やれることは、やるしかないと。

店を大改革しました。当時は、見せ方などは全く考えず、いろいろごちゃごちゃと並べ、職人が勝手に来て、自分で選び出して買っていく。外からは何だかわからないし、一般の人には敷居の高い店でした。これが今のようなショップに至るまでにはいろいろありましたが、反対されても、やってみなければわからないものです。

表装材料が並ぶマスミの店内

—— そして、海外に目を向けられるのですね?

: 思いつきです。駐在時に、海外の美術館にオリエンタルアートの展示があったのを見ていましていましたから。何かあるかも知れないと、飛び込みで行って、美術館の人に話しかけました。何のツテもないので、それしかできなかった。でも、これがきっかけで、大英博物館に和紙を提供するようになります。

裕子: 美術品の修復作業には、和紙を使うのです。西洋の美術品も和紙を使って修復しています。実は、世界の美術館の95%が、日本の和紙を使っているのです。

: あちらの修復学会にご縁ができ、展示会への出展を勧められ、よくわからないまま「マスミ」の看板を掲げ、現地のメーカーさんに交じって刷毛や噴霧器を並べました。学会講演の休憩時間になると、なんと、みんなが集まってくる。「こういう道具が欲しかった」「売ってくれるのか?」などと、人だかりができました。海外の美術館の方々が、日本のものを必要としていることがわかりました。「輸出するから」と皆さんに連絡先を書いてもらい、帰国後、海外用のカタログ、和紙のサンプルを制作して配りました。

でも、そう簡単に売れるわけではありません。注文が入るまでは、ものすごい質問の連続です。全部答えました。紙漉きのところへ行って、この紙のpHはいくつか、原料は何か、たとえば楮(こうぞ)ならどこの楮なのか、いつ漉いたのか、など。職人たちにも「こういうデータをきちんと揃えないと輸出できない」と説き、協力してもらいました。質問攻め。商売につながるのはごく一部。勉強しました。わからない時は「ちょっと待って」と時間をいただき、でもちゃんと答える。これを10年、20年やっているうちに販路が拡がっていきました。

今でもわからないことはあります。それをちゃんと調べて答えることが大事。「知らない相手に教えても、どうせわからない」ではなく、丁寧に教え、伝え、トレーニングしていく。私はNECにいたとき、それを学びました。

裕子: 言葉の問題もありますから、きちんと説明するのは大変なのです。日本のメーカーでも、ほとんどできていないところでした。

: 日本人は、自分たちのもつ“良いもの”を、評価しなさすぎです。岡倉天心*²のおかげで、ボストン美術館に東洋館ができ、表具師が出向いた。ワシントンのフリーア美術館でも、専属の表具師が、戦争中も大切にかくまわれながら修復を続けていたそうです。

日本で修復の技術を学んだ方々は、あまり世界へ出て行きませんし、海外へ出た仲間を支援するというメンタリティも薄い。世界に出ると、これまで分業でやっていた仕事を、全部ひとりで、トータルでやらなくてはいけない。わからない部分には、日本からの支援が欲しいでしょう。でも、残念ながら日本は、一旦外に出た者には冷たい。世界で日本を代表して文化を伝え、つないでいる方々の価値を、もっと知ってほしいです。

時代を超え、伝統の本質を現代へ活かし、後世につなぐ

: 掛け軸は、向き合うものです。向き合いながら、その時々の自身の内面を問い、自分を磨く。先人が桐箱に収めて遺してくれたから、私たちは今、見ることができる。これをまた、次の時代へ届けなければなりません。職人が辞め、伝承が消えないように、私たちが伝え続けなければならないのです。

マスミが制作した、フランズチョコレートのギフト用桐箱

米国シアトルのフォーシーズンズホテルに店を構えるフランズチョコレート(https://franschocolates.jp/)に、ギフト用の桐箱を提供しています。これは、フランズの会長と私、米国・日本双方の職人たち(ショコラティエも職人ですから)による本気のコラボ。10年で3,500箱ほど出しました。チョコレートの箱にこんなにお金をかけるなんて普通は考えられないのですが、自分の範疇でかためないで冒険したことで、思わぬ結果が生まれました。平家納経*³で使っていた技術が、1200年の時をこえて、米国のショコラティエとコラボして、アメリカの人がそれを喜んで買ってくれる。すごい文化交流です。こういうことがやめられないです。

この案件を紹介してくれたのは、マスミのMURO(和紙を張ったイベントスペース)でコンサートを開いてくれた、スーザン・オズボーンという歌手(NYで活躍した後シアトル沖のオルカス島在住)。彼女の友人づてで、フランズの会長さんとつながりました。

ものづくりでご縁をつなぎ、豊かな気持ちを紡いでいく

—— 何をしてよいかわからなかった当初と比べて、現在はいかがでしょう?

: マスミで仕事を始めて、間もなく30年になります。当初、することがないと感じていた自分にも、お役目がたくさんあることがわかりました。後世の方々に、先人の素晴らしさを伝える。ひとりでも多くの方々に観ていただき、知ってもらい、ワクワクしてもらいたいです。

先人たちが想いを込めた作品や技に触れ、何がいいのかわからないけれど、何かを感じて、そしてそれを通じて、ささやかな幸せな気持ちを得るとか、何か発見するとか、自分の生きがいを見出すとか。世の中に、何か影響を与えることができたら、うれしいですね。

すべてご縁です。だから、仕事がないなんて、ありえないのです。人は往々にして、「これはできる」「これはできない」と自分で自分に勝手に制限をつけたりするんですね。そうではなくて、ちゃんとご縁をつなげて、「はい」と言ってやるべきなんだと、実感をもって知りました。

裕子: 最初は反対していましたが、今は、安心しています。日本の職人文化の中で育った自分が、マスミを通して何を言えるのか。

生活の中に引き継がれた先人の知恵、日常で忘れがちな小さいことを、もう一度、今の若い人たちに、時代に即した新しいかたちで伝えられればと思うのです。「かつてこういうことがあったので、だからいま、これがある」という成り立ちを知り、腑に落ちること。「おもてなし」といった日本人の原点も、その類だと思います。

マスミでは、一年を通しての歳事に因んだ講習、日本の伝統を紐解く講座を催しています。きちんと伝えていただける講師の方をお願いしていますので、「腑に落ちる」実感を得られると思います。日本の文化を大袈裟ではなく小さな知恵など 私なりの側面から伝え 思い出して頂けたらと思っています。

表装に使用する布で創ったベストを着用された裕子さん

: 一度「経験」すれば、海外に行ったときに話せますし。

裕子: 日本のしきたりは、先様(さきさま)のことを想ってすることが多いですね。その意味を知ったとき、なんて素晴らしい心遣いだろうと、豊かな気持ちになれます。皆が豊かになり、幸せに暮らす秘訣がそういうところにあるのかも知れません。

: そういう豊かさをみんなで共有できたら、きっといい社会になる。疲れたら、和紙で作られた茶室に入って一息つくと一気に浄化される。先人から受け継いだものを大切に守り育てながら、未来へ渡す仕事を通じて、私たちは豊かさを創造しているのです。

和紙でできた折り畳み式茶室の室内

注釈
*¹ 白隠禅師:臨済宗中興の祖とされる江戸中期の禅僧。禅の教えを表した絵を数多く描いている。
*² 岡倉天心:明治時代の美術界指導者。東京藝術大学を創立。日本美術を世界へ広め、ボストン美術館東洋部長を務める。
*³ 平家納経:平安時代に平家一門がその繁栄を願って厳島神社に奉納した装飾を凝らした写経

インタビュー後記
いつお目にかかっても、穏やかで温かい横尾さんご夫妻。マスミ継承物語、横尾さんご夫妻の奮闘記は、ドラマチックでした。私たちが雄大な時の流れの一コマを担っていること、受け継ぎ・伝えるべきものがあること、人とのご縁、そういったものが人生を豊かに彩っていることに気づかされ、心が温かくなりました。

マスミHP 掛け軸和紙の販売ならマスミ東京 | (masumi-j.com)

ご参考記事
「日本の伝統文化を広めたい」 マスミ東京代表取締役社長 横尾靖 〜表装文化の継承のために「本気で本物を作る」挑戦は続く〜 | リーダーズオンライン (leaders-online.jp)

取材・記事 柿田京子
写真 マスミHP・高橋若余

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