Artists Interview #7

認知症の方々の記憶を呼び起こす「アートリップ®︎」— 終わることのない学びとアートの旅に魅せられて

高橋 由美子(たかはし ゆみこ)さん
アーツアライブ認定 アートリップ®︎ アートコンダクター / 日本語講師

PROFILE

大学卒業後、大手銀行に就職。退職後はオーストラリア国立大学で応用言語学を学び、外国に居住しながら日本語講師として働く。
2017年に一般社団法人アーツアライブが実施する対話型鑑賞プログラム「アートリップ®︎」と出会い、翌年認定アートリップ®︎ アートコンダクター資格取得。高齢者施設、病院、美術館などで活動している。

高橋由美子さんと高橋若余の写真

今回お話をうかがったのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のメソッドに基づく日本独自の対話型鑑賞プログラム「アートリップ®︎」のアートコンダクターとして活動する髙橋由美子さん。長い海外生活のなかで美術鑑賞が楽しみだったという。アートリップ®︎のアートコンダクターという活動に出会うまでに、どのような経験を重ねてきたのだろうか。

これまでの人生、引っ越しがとても多かったですね。父が金融関係で、結婚相手もそう。金融関係はひとつの赴任先に長くいられないので転勤が多いのです。
夫が社費留学でオーストラリアに行くことになり、わたしも勉強をしようと留学を決めました。勤め先の銀行を辞めて渡豪し、オーストラリア国立大学大学院のGraduate Diplomaで応用言語学(日本語)を学びました。そこで勉強して日本語講師になろうと思っていました。そのままMasterに進みましたが、夫の海外転勤や長男の出産があり、中退し帰国することに。その後、小さい子を連れて転勤先のロンドン、オランダ、ルクセンブルグへ。子育てをしながら現地の語学学校で日本語講師をしていました。
ヨーロッパは、どこの都市に行ってもすばらしい美術館があるので子どもを連れて通っていましたね。ルクセンブルグでは、長女が生まれました。そのあとフランクフルト、そしてまたロンドンで生活しました。日本語講師をしながら、とにかく美術館に行くことを楽しんでいました。
一度帰国したあと、今度はアメリカへ。一旦日本語講師はお休みしてCPA(公認会計士)の勉強をはじめましたが、結局止めました。どうも数字を扱うのは向いていなかったようです。

非常に熱心な勉強家。海外生活では習慣の違いやアジア人に対する目など、困難さを感じたこともあったそうだ。転居が多い生活でもアートを身近に楽しみ、学びを続けるバイタリティにあふれていた。

その後、日本に帰って来ると、母の認知症が進んでいることがわかりました。日本語講師の仕事はしていられない状況でした。
当時のわたしは認知症のことをあまり知らなかったので、母と何を話したらよいかわかりませんでした。でも、わたしが着ている洋服の色をきれいだねと言ってくれたり、歌を歌ってあげるとすごく喜ぶ。わたしが笑うと母も笑う。認知機能は以前のようにはいかず、わたしのことも覚えてないけれど、色や音楽や楽しさに対する感性は健在なのだと感じました。
数年後、母が亡くなると自分の心にポカンと穴が開いたようになってしまいました。それを埋めるように忙しくします。もともと忙しいのが好きだったので何かやりたくて。宅建(宅地建物取引士)を取得しました。けれども、不動産会社で働く自分が想像できず。ワインが好きだったので、ワインエキスパートの資格を取ってワインショップで働いたり、法律事務所で短期間働いたこともありました。それぞれ勉強しているときは楽しかったけれど、働いてみると長く続けたいとは思いませんでした。

様々なことに挑んできたが、しっくりこない思いを抱える日々。そんな時、アートリップ®︎を知る機会が訪れた。

2017年の6月にNHKの情報番組を見ていたら、一般社団法人アーツアライブの林容子代表が出演する「アートリップ®︎」の特集をやっていました。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のメソッドに基づく日本独自の対話型鑑賞プログラム「アートリップ®︎」で認知症の方々が美術館で作品を前にいきいきと発言されていました。それを見て、急にアートのことを思い出しました。そういえば海外の美術館は楽しかった。日本のも良いけれど人が多くて敷居が高くて、もう少し何かないかなと考えていたところに、その特集。「これをやってみたい」と思ったのです。
翌2018年の3月からアートコンダクターの養成講座を受講し始めました。初級、中級と進み、6月からは実際の施設での研修が始まったのですが、月に1回の実習ではせっかく習ったことを忘れてしまうし、どんどん上達したかったので自分でプロジェクターを購入してキャリーバッグに積み、高齢者施設に「アートリップ®︎いりませんか?」と飛び込み営業しました。武者修行のようなものですね。おかげで練習も捗り、アートコンダクター認定試験に合格することができました。
飛び込み営業の結果、4つほどの高齢者施設で実施が決まりました。また、千代田区の社会福祉協議会にかけあって、千代田区「はあとカフェ」で実施できることになりました。「はあとカフェ」は、認知症・高齢の方のための場所ですが、広くどなたでも参加できます。アートリップ®︎では約1時間かけて4枚の絵を鑑賞するため、仲間を募って1枚ずつ担当して、訓練の機会を作りました。その仲間とは今も一緒に活動を続けています。

高橋由美子の写真

家族の他界後に「アートリップ®︎」と出会い、一気に魅了された。その理由を次のように語る。

アートリップ®︎の活動の面白さの一つは、知的好奇心が満足することです。どれだけやっても勉強が追い付かないところが楽しいですね。調べたことをそのままお話しすることはありませんが、対話がどんな方向に進んでも全て受け止められる様にするには事前準備がとても大切です。作品について調べると、作者だけでなく時代背景も気になります。描かれているものが何なのか、どこから来たのか。なぜそれを描いたのか。誰の影響を受けたのか。そして誰に影響を与えたのか。何から何まで知りたくなります。毎回「そうだったのか」と発見があるので、何回やっても楽しい。続けられる理由はそこかなと思います。今はゴッホの作品を調べているのでゴッホに夢中ですね。

そしてやはり参加者の方が喜んでくださることも大きな魅力です。ずっと表情の無かった方が話を聴き続けてくれて、最後に急に何かおっしゃったりすると「すごい」と心が動かされます。
無理に話しかけるのではなく、アートリップ®︎の自然な流れで、認知症の方と同じ高さで目を合わせたり、腕や背中をさすったりしながらおしゃべりをすると(コロナで最近はできませんが)、だんだんこちらのことを見てくださるようになります。あるグループで沈黙の続く参加者の方と、マルク・シャガールの絵を鑑賞していると、最後に「オペラハウス」とおっしゃった。そして「緑色」と。そこで言葉は終わりましたが、介護士の方はその方が発言されたことにとても驚いていました。
もしかしたら、以前パリのオペラ座のシャガールの天井画を見たことがあったのか。記憶が出てきたのかもしれないですね。その作品には確かに緑色の箇所があって、そのことを言っていたのかもしれません。「そのあとも機嫌がよかった」と介護士の方から伝えられました。

またあるとき、ボナールの絵を見せると「深い絵だ」とおっしゃる方がいました。理由を聞くと、子どもたちとお母さんの愛情がみどりの色にあらわれている深い絵だと。認知症の方々のそういう感覚に、日々驚かされています。

もう一つ嬉しいのが、同席しているご家族や介護士さんから「こんなことってなかった!」と言われたことでした。ふだん認知症の方と一番かかわりのあるのがご家族と介護士さんです。昨日はできていたことが今日はできない。できないことを数えるのは心苦しいですよね。できないことばかりが増えていく方と毎日向き合い続けるのは、きっとつらいはず。そのような中で、当事者の人間性や豊かな感性をアートリップ®︎をきっかけに一瞬でも引き出すことができた時、ご家族や介護士さんがその方の変化に気付いて心から喜んでくれるのがとても嬉しいですね。

実りある経験を積み重ねてきた今、アート活動が持続可能な職業として発展してほしいと願う。

アーツアライブから派遣されるアートコンダクターは有償でプログラムを実施しています。
日本語教師の場合は、授業1コマのために教材を作成するなどの準備があります。これは必ず授業の役に立つし、受講者にも満足感があり、そこを認めてくださるので、準備時間に対して抵抗なくお金が支払われるのですよね。

アートリップ®︎も同じく準備が必要で、1時間のプログラム4作品のためにやらなければならない事がたくさんあります。参加者に合わせて、テーマを考え、作品を選び、順番を決めます。施設入居の方には季節感も取り入れます。作家のことも調べるし、制作された時代にどんなことが起こったか文化や歴史も調べます。誰かが教えてくれるものではないので書籍で調べたり、より作品理解を深めるために仲間と話し合ったり練習したりするので、時間がかかります。アーツアライブからのお仕事として引き受けたプログラムはきちんと報酬が出ますが、準備の部分も含めて考えると、経済的には悩ましいところです。
有償業務とボランティアの線引きはこの仕事の難しいところです。身近な高齢の方に対して、こちらは有償にしたいと思うものの、たとえ数千円でも言いにくいところがあります。高齢の方からお金を取るというのが、心情的になかなか難しいのです…。そこで、ボランティアでやりましょうとなれば、高齢者の方たちも施設の方も喜んでくださいます。それはそれで素晴らしい意味のあることではありますが、常に精いっぱいの準備をして今自分ができる最高のものをお届けしたい、そしてそれを長く続けたい、と考えるとやはりちゃんと職業として成り立たせたいと思います。

最近はアートリップ®︎が病院でも認められるケースがあります。まだ時間がかかるのでしょうが、ケアプランに組み込んで介護報酬でできるとか、そのようになってくれたらなと思っています。
アートリップ®︎の研修に来ている人の中には介護士、看護師、学芸員の方がいます。わざわざ有休を使って練習のためにボランティアしている状況。優秀な方ほどそうなのです。これを収入の伴う仕事にしないと、せっかく社会的に意味のある活動なのに若くて優秀な方は続けることができないなと思います。

歓談する二人の高橋さん

新たな試みとして「アートカード」を制作。現在進行形で創意工夫は続いている。この活動の意義について語る姿に、着実に社会に挑んでいる熱意が伝わってきた。              

最近仲間とアートカードを作ってコロナ禍で訪れる事のできない施設に送りました。A4サイズに絵画作品をプリントアウトして、裏に質問や簡単な作品解説が書いたラミネートカードです。これを見せながら話せば、誰でも気軽にアートリップ®︎の気分を味わえるかなと。
また、今は難しいかもしれませんが、レストランが営業していない昼の時間に場所を借りて、40代や50代の人を対象にやってみる。作品に対して同じ見方や感覚を持っている同士で気が合ったりするので、出会いの場として用意できないか、なんて考えています。

今の社会は、認知症当事者の方々が、それぞれ素敵な人であることを見ないで、できない事ばかりに目を向けているような気がしているんですね。認知機能が薄れても、芸術的な感性はとても敏感に息づいているのです。このことがわかれば、もっといろんな方が勉強して、活動に取り組んでくれるのではと思います。

参考:
一般社団法人 アーツアライブ 「http://www.artsalivejp.org/

編集後記

髙橋さんの「美術館で世界的名画を鑑賞するアートリップ®︎、母と一緒に行きたかった!」と朗らかにおっしゃる姿が印象的でした。学び続けることの根源には、新しいことを見つける喜びと、創造する面白さがあるのだと教えていただきました。そして、ご自身と社会とのかかわりに重ねて、認知症の方々と社会をつなぎ続けるお仕事に、これからの大きな可能性を感じました。

取材・記事:高橋若余
写真:柿田京子