なんで黄色いの?

朝晩がめっきり秋めいてきましたね。
今週も、下邨の文章にお付き合いください。

私の、子供の頃のたわいもない疑問の話です。
私は、「なんでだろう?」ばかりの子供だったそうです。両親をつかまえては、「ねぇ、なんで空は青いの?」「葉っぱは、なんで緑色なの?」「なんで、卵の黄身は黄色いの?」と質問責めだったようで。
父なんて、「黄色いから黄身って言うんだ! 早くご飯食べちゃいなさい!」と。我ながら、面倒くさい子供でしたね…(笑)

だいぶ大人になってから、この父の対応を母に話したら、「真剣に応えてやれなくて、すまなかったわねぇ」と謝られましたが、当時の私にとって、それら、たわいもないことが、この世界がどうかたちづくられているかの、最大の関心事だったのです。
そんな、大人になってからの笑い話を父にもしたかったのですが、病気で看取った後なのが悔やまれます。

さて、実はこの子供の頃に養われた疑問意識、デザインではけっこう重要なのです。

まず、対象となる事象を観察しているということ。
そして、なんらかの疑問を抱くということ。
さらには、その疑問を解決するためには、どの様な行為が必要か思考する、ということ。

大学在学時、とある教授が講義の開始前に仰っておりました。
「全ての事象を疑ってください。これから私が話す講義さえも。」
いまでも心に残っている言葉のひとつです。

今回は、たわいもないトピックであったので、最後くらいは、子供の頃からの私のこの意識を、ステキな詩の一説を引用して、表現したいと思います。

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

〈宮澤賢治/『春と修羅 序』より抜粋〉