「想いを込める」ということ

暑い日が続きますね。皆さま、お変わりございませんでしょうか?
今週の投稿は、ワクチン接種2回目を終え、39℃近い副反応による発熱をかかりつけ医に報告しましたら「若い証拠!」とお墨付きを頂いた、下邨尚也がお送り致します。

each toneの1stプロジェクト「víz PRiZMA」の説明会を月に数回の頻度で行っております。「víz PRiZMA」では、会員様が他界後、ご遺骨の代わりに、ご自身がつくられたアート作品と瞳(虹彩)由来の生体アートを掛け合わせた作品を、ブロックチェーンを掛けて後世に伝えるサービスを一端としております。
この、ご自身でつくっていただいたアート作品に「想いを込める」作業をしていくわけですが、この部分、なかなか解りづらいかも知れませんね。少し例示しながら、説明させてください。

ふたつの石ころ
下邨があるギャラリーを覗いていたときのことです。作家さんのお名前は残念ながら失念しました。作品には、「ふたつの石ころ」が飾ってありました。文字通り、石ころです。この作品は、なにを表現しているのでしょうか?
ギャラリーのオーナーにお話をお聞きしたところ、この「ふたつの石ころ」はそれぞれ、北極と南極から拾ってきた石ころなんだそうです。それが、今、物理的な距離を越えて、このひとつの作品の画面上に同時に存在している。みなさんはどうお感じになりますでしょうか?

著名人のサイン
これもよくありますよね。「握手してください」とか「サインいただけますか?」とか。渋谷なんかで見かける落書きにはなんの価値も感じず、むしろ迷惑行為なのに。とある人が書いたものには、とても価値を感じる。
もっというと、ご自身のお子様が生まれて初めて自分で書いたお名前の文字には、感無量ですよね。こんな経験、思い起こしてみると、どなたにもあるのでは無いかと思います。

認め印
脱ハンコの議論も偶にニュースになっておりますが。あの朱の印影も、あれがあることにより「承認」や「自筆」の証明になるわけです。ご本人がその場にはおらずとも。考えてみると、不思議にお感じになりませんか? PCや高解像度のカメラがありますから、この現代において、その印影の複製を取ることは非常に容易です。で、それら複製を禁じたり、その真偽を証明するお役所書類があったりもします。
日本画家や書家が作品に押す「落款」がアートの世界でもあります。その意匠(デザイン)も含めて、ステキな文化だなと思う場面でもあります。

さて、3つの例を挙げてみました。
「想いを込める」という観点からまとめさせていただくと、これらの事例には、「発信者」と「受け手」が存在します。そこで「発信者」の意図が、好意的な「受け手」に受け止められると、非常に意味や意義が生まれ、また、価値を見いだせない「受け手」にとっては、それらは何でも無いわけです。
1つ目の例では、ある人はこれは「地球」だ! と感じ、またある人はただの石ころと感じ。2つ目の例では「肉筆文字」と「落書き」。3つ目の例では「意思表示」と「朱い汚れ」。

アート作品にも同じことが言えると思います。興味がないひとには、現代アートはただのガラクタですし、印象派の絵画もキャンバスの上に顔料が乗っただけのモノです。しかしそこ介在する「発信者」と「受け手」の関係性や時代、価値観や嗜好などが重なったときに、「込められた想い」が「伝わる」わけです。とても奇跡的な出来事だと感じるのは私だけでしょうか?

みなさまも、こんな体験をされてみませんか?
each toneの1stプロジェクト「víz PRiZMA」では、無料説明会を定期的に行っております。是非お気軽にご参加ください。

https://www.viz-prizma.com/briefing